北陸 鴨池北潟湖周辺 遠征

野鳥科で1月18日19日と1泊で石川県の海岸沿いの探鳥会に参加しました。そこで訪問した「加賀市鴨池観察館」で購入した「片野鴨池と村田安太郎」という本の紹介をします。

片野鴨池は昔からカモが沢山渡ってくる場所でカモ猟が現在でも行われています。カモ猟は300年以上の歴史があるそうです。獲る時期や時間帯は決められていて、捕って良い数はその時期に200羽までです。(現在はマガモのみ)猟のやり方は「坂網猟」と定められており、銃を使うのは300年前より禁止されています。カモが驚いて近寄らなくなるからです。

カモ猟師たちは、カモがゆっくり休めるように鴨池の水の量を調整し、カモ猟の季節には見張りを置いて、違法に猟をする人が出ないようにしました。自然と人間と良い関係を保つことが出来たので、300年以上カモの渡る数を減らすことなく続けてこられたのです。

カモ猟は今まで2回の危機がありました。1回目は明治維新の時です。今までカモ猟を仕切っていた大聖寺藩が廃止され、それまで武士にしか許されなかったカモ猟に大勢の人が群がるようになりました。これはいけないと捕鴨組合が作られ、カモ猟の決まりが作られました。

2回目の危機は第2次世界大戦後に進駐軍が来た時です。米軍人はカモ猟をレジャーとして銃でカモを撃ちました。マガンやヒシクイなど大型の獲物は喜ばれました。当然カモは恐れて鴨池にやってこなくなりました。今までカモ猟で生計を立てていた人はたちまち生活に困るようになりました。

進駐軍が来た当時GHQに逆らうことは、大変なことでした。「片野鴨池と村田安太郎」には当時の様子が詳しく調べられ取材されてまとめられています。

鴨池の番小屋の番人小西さんのお話 「進駐軍が来たんや。ジープに乗って。ほんで、鉄砲持って。小屋の前に乗り付けて、いきなり入って来たかと思うと『ガンやカモがたくさんおるから、ここで鉄砲を撃たせろ』と。そやけどわしは絶対ダメやと手を振った。(中略)ここでは坂網以外はダメやと言うたら『ダメとは何事や』というて聞かんがや。なにせ相手は進駐軍やからね。まあ結局、文句なしやったわいね」

村田安太郎さんは捕鴨組合の長として、片野鴨池の窮状をGHQに訴えに行くことを決意しました。当時に70歳は過ぎておられました。

捕鴨組合の組合員坂野さん談話「・・・東京の進駐軍本部にへ陳情に行かなんちゅうことになって、それでは誰が行くかちゅうわけや。4、5人で行くかちゅうたら、村田組合長、わしゃ行く言うて。お前ら若いから、まだ先があるあるから(進駐軍に)鉄砲で撃たれたら困る。わしゃこの年やさけ鉄砲で撃たれても構わん言うて。・・」

当時の資料は残念ながら日本の役所には残っていません。戦後の混乱期で欠落してしまっています。当時のGHQ文章が公開され、鴨池関係の所を坂網猟保存会他有識者研究者が見つけ出し解読翻訳しこの本にまとめ上げました。(時鐘舎新書 定価800円)

今回の北陸遠征の1番のハイライトは片野鴨池から早朝に飛び立ち、田んぼの落ち穂などを食べにくるガン類の「雁行」を見ることでした。

朝の6時に宿を出て寒風吹きすさぶ田んぼの真ん中で待つこと暫し。待てどもガンはやってこないし、風が強くて寒くてくじけそうになっているところに「今日はもうこないのかも」と声が上がり始めました。観察館の方も「最近は田んぼにムギを植えるようになり、飛ぶ方向が変わってきている」という情報もありました。

「来たー!」という声があり、マガンの群れがやってきました。連なりながら飛び、次々に形を変えて飛んできます。さざ波のように何度も押し寄せてきました。画像では見た事ありましたが、実際に見ると大感動です。長い時間に感じましたが、あとからカメラをみると5~6分の時間でした。

片野鴨池の長い人間とカモたちのお付き合いの歴史を知り、雁行の大迫力を味わい、実りの多い北陸遠征でした。

北陸 鴨池北潟湖周辺 遠征” に対して2件のコメントがあります。

  1. matuda yukie より:

    自分で自分にコメントします。
    アイキャッチ画像を付けたかったのですが、なんか画面の設定が変わってしまい出来ませんでした。静谷さん可能でしたら、適当に付けてください。
    他、文章に間違いがあるとかいくつか指摘がありましたが、どこがどうやら分からずにそのまま開示しています。お気づきの点ありましたら、よろしくお願いします。

    1. midori24-2 より:

      掲載画像の白黒をカラーに変換しアイキャッチ画像としておきます。

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