和歌山での生活の一端(ミカンの原木とお菓子のものがたり)
和歌山に来てミカンの種類が多いこと、大阪と比べ価格の安いことに先ず驚かされた。販売戦略もあるのだろう、ブランド名も大切であろう。ここ海南のミカン農家さんが市場(農協)へ出すときは和歌山ミカンとなり、ブランド名の有田ミカン表示ではない。ブランド名を得るにはそのチェック(味、糖度等)も厳しいと聞く。野菜の有機栽培の表示の認可と同様であろう。ミカンの歴史が気になり、有田市のみかん資料館へ立ち寄った。ミカンの原生地、伝来の説は色々。その中で最も古いもので神話時代に“田道間守の伝説”がある。西暦61年頃、田道間守は垂仁天皇の命で延命長寿の効果のある果物を採りに行くことになり、海を渡り中国の奥地で実を探した。なかなか不老不死の実のなる木は見つかりません。あるとき田道間守は若い娘が老人を叱っている光景に出会い、よく話を聞いてみると本当は若い娘が母親で、老人はその息子だったのです。「息子は酸っぱいこの実を食べず、こんなに年を取りました。」と言って一つの木の実を見せた。これこそ不老不死の実、田道間守は数本その木を譲り受け、10年目に帰国したが、天皇は既に亡くなっていた。田道間守は天皇の後を追って死に、持ち帰った実は海南市下津の橘本地区に植えられた。この実は橘の実で、ミカンの元となった果物、昔の人は橘の実をお菓子として食べていた。橘本神社には田道間守の伝説の石碑が建っており、田道間守がみかんとお菓子の神様として祭られています。同様な伝説でお菓子の神様を祭っている、神社、伝承館は和歌山以外にもあります。

国道42号線から少し内陸部に入ると、まさに田舎風景とミカン山で囲まれた橘本地区に入る。川沿いの細い道を入るとこじんまりした神社がある。橘本神社である。有田ミカン(温州みかん)の原木とされる橘の木が植えられ、その由来の説明、石碑が建てられている。




